昨日逗子で手に入れたパンフレットを持参し、
"葉山芸術祭:葉山アートフェスティバル " に出かけました。
といっても、主なイベントはGWに終了してしまっているので、
お祭り騒ぎ的な要素はどこにもなく、日常の葉山がそこにあるように感じました。
葉山の土地を感じたいと思っている私には、そちらの方が良かったかもしれません。
I and my boyfriend: R went to Hayama, "Hayama Art Festival" with the pamphlet which we got yesterday in Zushi.
The main events finished in Golden Week, so there did not have the atmosphere of a festival, however, I felt it was normal Hayama.
We would like to understand Hayama's daily life rather than the festival, so it was better than special Hayama.
1) 'engawa'
皇室の侍医だった方の築80年の家をカフェレストランに改装したそうです。
靴をぬいで中に入ります。
私は表庭、裏庭、室内を拝見させていただきながら自分の記憶をほりおこしていました。
確か、気候穏やかな葉山に御用邸を作ったらどうかと提案したのは、皇室の侍医だったのではなかったから……?
それもドイツ人だったような気が……名前はベルツだったかベンツだったか?
それもドイツ人だったような気が……名前はベルツだったかベンツだったか?
ではその人の家が葉山御用邸から近いここだったの?
いやそれならもっと洋風な建築ではないかしら???
大正天皇は頻繁に葉山御用邸を使用していたと聞いたような、
読んだような?
読んだような?
七里ケ浜沖で逗子開成中学(旧制)の
生徒12人が教師 (稲村ケ崎公園には先生と生徒の銅像がある)と 一緒に行方不明になったとき、渚ホテルに集合していた生徒の保護者を、白馬に乗った大正天皇が励ましに行かれ、保護者達は大変感動したと、……
当時天皇は庶民にとっては神と同様の存在だったので、保護者のその驚きは神が地上に現れたに等しいものだったという話をどこかで読んだような
気がする……?
古い家と新しいレストランカフェが作り出すその空間の中で、私は過去の出来事と今いる自分を行ったり来たりしていたように思います。
'engawa'
It is the remodelled house of a doctor to the Imperial family, 80 years old, made into a cafe restaurant : 'engawa'.
We take off our shoes for the cafe restaurant. While I looked around their front garden, back garden and the rooms, I searched my memories …if
I remember right, an imperial family doctor suggested making an imperial villa in Hayama where the climate is moderate, the doctor was German,his name Velts ? or Vents ?
…so here was his house…?…
…so here was his house…?…
if it was, here would have been built in a more Western style……
Maybe I read or heard that Emperor Taisho used Hayama villa often?,…when 12 students of the old Kaisei school with their teacher in a boat were missing in Sagami Bay, their guardian stayed and waited for news in the "Nagisa Hotel".
Emperor Taisho went there alone (without his usual entourage), on his white horse, to encourage people, so people were very impressed, because he was like a God for people at that time.
(Unfortunately the 12 students and the teacher did not come back, their bronze statue is in Inamuragasaki Park now)……
I felt that I went to a past period and came back today a few times in myself or my memories while I was there.
Maybe I had a time travel, made by the old house and the new style cafe restaurant.
2) 葉山生まれの手ぬぐい展
Exhibition : "TENUGUI born in HAYAMA"
in 'engawa'
席に着くとお店の方が快い上品な笑顔をうかべながら美しい食事のセッティングをしてくださいました。
一緒に行ったのが英国人のRなので、彼にはフォークを用意していただきました。
'engawa'では葉山アートフェスティバルのひとつとして
"葉山生まれのてぬぐい展"
を開催中でした。
それにあわせたランチセット(食後のデザートが特別メニュー)がありましたので、それを注文し、美味しくいただきました。
ゆったりとした時間をすごしました。
私達がすわった窓際のテーブルの部分が縁側(公縁)で、ラッキーだったかもしれません。
"葉山生まれのてぬぐい展"
を開催中でした。
それにあわせたランチセット(食後のデザートが特別メニュー)がありましたので、それを注文し、美味しくいただきました。
ゆったりとした時間をすごしました。
私達がすわった窓際のテーブルの部分が縁側(公縁)で、ラッキーだったかもしれません。
Exhibition : "TENUGUI born in HAYAMA" in 'engawa'
Later we settled down at our table, a waitress made a beautiful and chic table setting with her comfortable and elegant smile.
R is British so she gave him a fork.
In engawa as part of the festival, they had an Exhibition :
"TENUGUI born in HAYAMA."
Also the restaurant had a special menu (just sweets were different), we selected them and enjoyed eating them. We had a relaxed time in engawa of the cafe restaurant 'engawa', so we were lucky.
From Wikipedia ; Engawa refers to the typically wooden strip of flooring immediately before windows and storm shutters inside traditional Japanese rooms, recently this term has also come to mean the veranda outside of room as well, which was traditionally referred to as a nureen.
From Wikipedia ;
A Tenugui(手拭い) is a thin Japanese hand towel made of cotton.
It is typically about 35 by 90 centimeters in size, plain weaved and is a almost always printed some pattern. It can be used for anything a towel could be used for - as a washcloth, dishcloth, headband, souvenir or decoration.
A Tenugui(手拭い) is a thin Japanese hand towel made of cotton.
It is typically about 35 by 90 centimeters in size, plain weaved and is a almost always printed some pattern. It can be used for anything a towel could be used for - as a washcloth, dishcloth, headband, souvenir or decoration.
縁側は屋外と屋内の間の曖昧な空間だと思います。
そういう仕切りの曖昧さが私は結構好きです。
私のアルバムには、縁側まわりの幼い頃の写真が結構あります。
我家の縁側は濡れ縁と呼ばれるもので、屋根がないふきさらし状態のものでした。
幼稚園にも行かない頃、私はよくこの縁側で遊んでいたように思います。
ある時は縁側にすわり人形遊びをし、ある時は庭に立ち、縁側をテーブルがわりにし、どんぐりを缶にいれてじゃらじゃらと音をたてて遊び、お友達も玄関からよりもここから呼びかけて遊びに誘ってくれました。
縁側とは人と人の縁を結ぶところからきていると、どこかで読んだと思います。
今はあまり縁側のある家を見かけませんね。
縁側をもつ物理的な場所がなくなってきたためのでしょうか?
人々が曖昧な空間を好まなくなってきたためなのでしょうか?
人との縁を近所で結ぼうとしないからでしょうか?
今はあまり縁側のある家を見かけませんね。
縁側をもつ物理的な場所がなくなってきたためのでしょうか?
人々が曖昧な空間を好まなくなってきたためなのでしょうか?
人との縁を近所で結ぼうとしないからでしょうか?
I think engawa is an ambiguous space between outside and inside.
I quite like the space which is not a clear boundary.
I quite like the space which is not a clear boundary.
I have a few photographs of when I was a toddler playing on our engawa(Nureen:濡れ縁), for example I held my doll and talked with it there, I stood up in the garden next to it, put chestnuts into a tin can using the engawa as a table and then I rolled the tin can, made sounds, enjoyed it.
My friends would call me from the engawa rather than the entrance to the house.
My friends would call me from the engawa rather than the entrance to the house.
I think I read that engawa encourages "En(縁)":relations or connections between people.
Nowadays I haven't often seen engawa.
The reason may be that is it difficult having enough space for it ?
or people do not like the ambiguous space?
or people would not like to make En(縁) with their neighbours?
Nowadays I haven't often seen engawa.
The reason may be that is it difficult having enough space for it ?
or people do not like the ambiguous space?
or people would not like to make En(縁) with their neighbours?
月夜の海の手ぬぐいと、月夜の写真が
床の間であったであろう所に掛け軸風に飾られていました。
生活の中に手ぬぐいを利用する提案を感じ、
それを楽しめました。
他の手ぬぐいも家の中に展示する利点を生かしていました。
生活の中に手ぬぐいを利用する提案を感じ、
それを楽しめました。
他の手ぬぐいも家の中に展示する利点を生かしていました。
私はこのデザインの手ぬぐいを買わせていただきました。 I bought this design tenugui as a souvenir. |
例えば玄関を入った正面の壁には海辺の足跡をデザインした手ぬぐいが他の素材によるもの(花、花瓶他)と展示されていました(写真上)。
そこには来訪者に海と緑のある葉山の土地を感じさせる空間がありました。
月夜の海や海辺の足跡に目を止め、面白いと思うところは私と似ているな〜と...。
英国でも、昨日逗子海岸を歩いているときでも足跡の写真撮影はしましたし、月夜の海のドローイングも英国で既にしていました。
英国でも、昨日逗子海岸を歩いているときでも足跡の写真撮影はしましたし、月夜の海のドローイングも英国で既にしていました。
私はキッチンでよく手ぬぐいを利用しますし、美しい柄の手ぬぐいは一度飾ってから使用しています。
なのでこの作者の方と自分の共通した部分を感じました。
なのでこの作者の方と自分の共通した部分を感じました。
けれども『大人の部屋』の展示は、私とはとても違うセンスを感じました。
そこには『時計じかけのオレンジ』のオブジェ、春画、セックスアピールの強い漫画などがありました。
'engawa' のお店の雰囲気を考慮してやや隠れた場所に展示をされていましたが、この手拭いの作り手の方は、オープンでストレートな表現を好む方なのでしょう。
彼女は 'engawa' の店内にこのような場を作る(展示する)事を面白がっているように感じられました。
そこには『時計じかけのオレンジ』のオブジェ、春画、セックスアピールの強い漫画などがありました。
'engawa' のお店の雰囲気を考慮してやや隠れた場所に展示をされていましたが、この手拭いの作り手の方は、オープンでストレートな表現を好む方なのでしょう。
彼女は 'engawa' の店内にこのような場を作る(展示する)事を面白がっているように感じられました。
日本文化の中では、性的な世界(文化?)はもともと影の中にあるものだからこそ、時々は日の中にもってきて笑ってしまえる面白さを作り出せるのだと思います。
常時日の中にさらけ出されるものであったなら、誰もコレクションしないでしょうし、特別展示することもないですものね。
常時日の中にさらけ出されるものであったなら、誰もコレクションしないでしょうし、特別展示することもないですものね。
この作り手とは他にも違う点があります。
私は写真撮影や風景などからストレートに作品(平面作品、立体作品にかかわらず)には反映させません。
私の作品を見た方から、こういう発想はどこからくるのかと聞かれることがたびたびあります。
私の発想や作品は、いろいろな事柄、音楽などなど……から影響され出てきて、仕上がってゆきます。
私の作品を見た方が、すっきりするような解答を私は伝えることができません。
なのでその方の中に不快感が残ってしまいます。
'engawa'にあった展示方法のようなわかりやす形で、その発想の根源は出て来ません。
作品の隣に根拠となる写真がある展示は『なるほど〜』と思え、
写真にはない創作者のアイディアもはっきりわかり、楽しめます。
出発点から到着点までを見る側がすっきりと理解できるのも気分が良いですよね。
私は写真撮影や風景などからストレートに作品(平面作品、立体作品にかかわらず)には反映させません。
私の作品を見た方から、こういう発想はどこからくるのかと聞かれることがたびたびあります。
私の発想や作品は、いろいろな事柄、音楽などなど……から影響され出てきて、仕上がってゆきます。
私の作品を見た方が、すっきりするような解答を私は伝えることができません。
なのでその方の中に不快感が残ってしまいます。
'engawa'にあった展示方法のようなわかりやす形で、その発想の根源は出て来ません。
作品の隣に根拠となる写真がある展示は『なるほど〜』と思え、
写真にはない創作者のアイディアもはっきりわかり、楽しめます。
出発点から到着点までを見る側がすっきりと理解できるのも気分が良いですよね。
そういえば、4月の私の個展の時に多摩美の友人S君が陶芸作品のエスキースを結果として出て来た陶芸作品のそばに展示するとよいのではないかとアドバイスしてくれたのは、見る側にとって、作品過程のおもしろさを感じることができるからなのですね。
そうですかS君?
そうですかS君?
でも私は、これからもきっとそういう展示はしないかな〜?
The tenugui of moonlight on the sea displayed in the Tokonoma as a Kakejiku : Japanese or Chinese picture placed in a Tokonoma ; traditional display alcove in a Japanese house.
It suggested a use of tenugui in our life, and I enjoyed this idea.
The other tenugui were well displayed too.
For example, the tenugui of footprints on the beach displayed with a vase and flower and other things in the entrance.
The other tenugui were well displayed too.
For example, the tenugui of footprints on the beach displayed with a vase and flower and other things in the entrance.
I think the space showed visitors the greenery and sea of Hayama.
It was quite a direct display for me.
It was quite a direct display for me.
I felt this designer - maker and I have some similar taste, for instance, we are interested in moonlight on the sea and footprints on the beach.
I took photographs of footprints on Zushi beach yesterday and previously at the British seaside.
And also I draw moonlight with sea in Britain.
I took photographs of footprints on Zushi beach yesterday and previously at the British seaside.
And also I draw moonlight with sea in Britain.
今、私は友人Hくんがデザインした手拭いを居間に飾っている。 For now I display this tenugui which my friend H designed, in my living room. |
I use tenugui in my kitchen every day and when I get a new design which is beautiful, I display it as a picture on my living room wall before using it in the kitchen.
Therefore I have sympathy with the designer.
However, I found some of her taste very different from mine when
I went to her other display in the "Adult Room".
I guess she considers about the cafe restaurant and its atmosphere, so she made a separate hidden room, although she might like showing that she is open and direct.
The room has an object from "Clockwork Orange", some pornographic pictures and Manga.
She might enjoy showing them in the elegant restaurant and she might laugh at this situation.
I think in Japanese culture generally the sexual world should be hidden or in shadow, so that sometimes when it is in the open, people feel fun.
If it is always in the open, nobody collects them and it does not become special display there.
Don't you agree?
Another difference between us is that my work does not come directly from a photograph or a beautiful view like hers.
Sometimes people who look at my work ask me where my idea comes from?
I think my ideas come from all my experiences looking at views, pictures and listening to music, and reading books, conversations with people and so on……
Therefore I could not answer them clearly, these people are not satisfied.
The displays in engawa of each tenugui with its source photograph showed people very clearly the origin of tenugui, as well as showing how the designer 's ideas are different from the photograph.
Therefore people can understand from the start point to the end, which makes them happy.
It reminds me of a suggestion from one of my Tama Art University friends S, that the design drawing of my work before firing should be displayed next to the finished ceramic piece.
The viewer could enjoy the process of making.
It is, isn't it S kun?
Maybe I would not use this kind of display.
3) ポスター / Poster
'engawa' の門のわきに張られていた'葉山芸術祭のポスター'です。
染織家の矢谷佐知子さんためのもの?(パンフレット内 私が一番好きなものがこれです。 This photograph of one of '10 Hayama Art Festival posters', which was outside engawa on the door.
It tells us about Sachiko Yatani who is a textile designer.
That's too bad, we could not manage to see her work or exhibition, although I like this poster the most of the 10 posters. |