五大堂 (ゴダイドウ) から観瀾亭を見る From Godaido Hall to Kanrantei |
海側は侵食されています。 The seaside coast is eroded. |
初めてこのような垣根(柵)を見ました。 なんと呼ぶ様式なのでしょう? It was the first time I saw a fence like this. What do they call this style? |
2) 中へ / To Inside
観瀾亭の門構え たたものじゃないぞ!という感じがしますよね? The Gate of Kanrantei Its atmosphere is not ordinary, is it? |
チケット 上;表 / 下;裏 Ticket Top ; cover / Bottom ; back |
観瀾亭の説明はここにも→★
Originally the building was a tea ceremony room in Fushimi Castle in Kyoto.
Toyotomi Hideyoshi (1536 - 1598) gave it to
the first lord of Sendai, Date Masamune (1567 - 1636) and then he moved it
from the castle to his residence in Edo : the former name of Tokyo.
The second lord Tadamune (1600 - 1658) removed it and rebuilt it here as
his ordered “one stone and one tree do not change the thing”,
with its surroundings. |
"Kanrantei"→ ★ in English |
観覧亭からの景色 / The View From Kanrantei
"月見御殿" から "観瀾亭"へ
私達は観瀾亭の縁側でお茶をしつつ、景色を眺めました。
五代藩主吉村といえば、伊達のお家騒動 (伊達騒動) が落着した時の藩主です。
お家も落ち着き、さざ波や月を愛でる余裕もできたのかもしれませんね。
呼び名を変えたのも、騒動の区切りをつけたかったのかも?
From "Tsukimi-Goten" to ""Kanrantei"
We had refreshments on the Engawa, which is a wooden veranda.
“Kanran” means that we watch ripples, however, early on it used to be called
"Tsukimi-Goten : Look at Moon Palace" .
The fifth lord of Sendai, Date Yoshimura (1680 - 1752) named it "Kanrantei".
After the family settled down, he might have had time and energy for enjoying looking at the ripples or the moon, mightn't he?
The name was changed because he would make a clean break, wouldn't he?
推定樹齢800年 Great Zelkova Serrata in Kanrantei, estimates at 800 years old. |
日頃、目にしない状態で木々があるにで、おもしろく眺めました。 Usually I do not see trees in this kind of situation, so I found them interesting. |
どんぐりころころの碑 A Monument to a popular Japanese nursery song :★ "どんぐろころころ"の童謡の作詞者の 青木存義 (アオキナガヨシ / 1879 - 1935) 氏は松島出身だったのですね。 因みに作曲者は、梁田貞 (ヤナダ タダシ / 1885 - 1959) 氏 、札幌出身です。 ♪ 歌詞 ♪ 1. どんぐりころころ ドンブリコ お池にはまって さあ大変 どじょうが出て来て 今日は 坊ちゃん一緒に 遊びましょう 2. どんぐりころころ よろこんで しばらく一緒に 遊んだが やっぱりお山が 恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた ウィキペディアに "歌詞に出てくる「どんぶりこ」は池に落ちた音の擬音語だが、「どんぐり」に 引きずられて「どんぐりこ」と間違えて歌われることも多い" とあり、私も今の今まで 'ドングリコ' と覚えていました。 下記、同様のウィキペディアより "歌詞の内容は、青木の幼少時の体験が元になっている。 青木は宮城県松島町の大地主のいわゆる「坊ちゃん」として生まれ育った。 広大な屋敷の庭には「どんぐり」が実るナラの木があり、 その横には大きな「池」があった。 青木は朝寝坊な子どもであり、それを改善したいと母親が知恵を絞り、 庭の池に「どじょう」を放した。 どじょうが気になって、青木が朝早く起きるようになるのではないかと 考えてのことであった。本作品は、当時の思い出を元に制作されたと言われる" そうなのですね〜。 |
桜がまだ咲いています。ここは東北〜〜! Some cheery blossoms are still here. Here is Touhoku~~! |
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