2020年3月22日日曜日

❼ - A 2019年8月11日 1) ブルーナのアトリエ -セントラル博物館- オランダ旅行 / Bruna's Studio - Centraal Museum - Netherlands Trip, 11th of August, 2019




目次 / Contents
1) ミッフィー博物館 / Miffy Museum : nijntje Museum
2) ブルーナのアトリエ / Bruna's Studio
3) 表紙とポスター / Cover and Poster
    A. ブルーナのデザイン / Bruna's Design 
    B. 理解者 / "Understander"  
    C. パートナー / Partner 
4)  賞 / Awards



1) ミッフィー博物館 / Miffy Museum : nijntje Museum
うさこちゃん (ミッフィー  Miffy :ナインチェ / nijntjeの創作者、
ディック・ブルーナ Dick Bruna  (1927 – 2017) ユトレヒトで生まれました。

彼は124冊以上の絵本を作り、多くのポスターと本の表紙をデザインをしました。

彼の本は50以上の言語に翻訳され、世界中で8,500万部以上を販売しています。

2006年に、ユトレヒトのセントラル博物館 Centraal Museum の一部として、セントラル博物館の向かいにある18世紀の建物に、ディック・ブルーナ・ハウス (dick bruna huis) がオープンしました。

ディック・ブルーナ・ハウスは、ブルーナの作品を展示する美術館でしたが、2015年に"ミッフィー博物館 / Miffy Museum" 児や未就学児向けの子供博物館に改名され、規模も約2倍に変わりました
セントラル博物館
ミッフィー博物館とは向かい合わせに建っています。


 Centraal Museum 
It is opposite the "Miffy Museum"

Miffy Museum : nijntje Museum
Dick Bruna (1927 - 2017), the creator of Miffy, was born in Utrecht .

He created over 124 picture books and designed many posters and book covers.

His books have been translated into more than 50 languages ​​and have sold more than 85 million books worldwide.

In 2006, Dick Bruna House / (dick bruna huis) opened in the 18th-century building opposite the "Centraal Museum as part of the Centraal Museum in Utrecht.

The Dick Bruna House was an art gallery that exhibited Bruna's work, though in 2015 the name was changed to "Miffy Museum": a children's museum for Toddlers and Preschoolers, and its size almost doubled.
セントラル博物館のショップ
ミフィー博物館では何も売られていません。
お土産が欲しい時はここで買います。
また、ミフィー博物館のチケットを予約していない場合は
ここで購入します。

Shop in the Centraal Museum
Nothing is sold in the Miffy Museum.
If you want souvenirs, buy them here.
If you haven't booked a ticket to the Miffy Museum, you can buy one here.



私達が買ったマグカップです。
We bought this mug.






買ったのは1個だけですよ。
We only bought one.




2) ブルーナのアトリエ / Bruna's Studio
ミッフィー博物館がオープンされた2015年に、ブルーナが30年間毎日働いていた、エルサレム通りにあった仕事部屋 (スタジオ・アトリエ) が、セントラル博物館のロフト部分 (最上階) に忠実に再現されました。
(ここでアトリエを見ることができます)

ミッフィー博物館は、子供向けの作品に集中しているので、ロフトでは彼の '大人向けの作品' も紹介しています。

2019年8月6日に私と夫Rは、"ミッフィー博物館" を訪ね11日にセントラル博物館のアトリエへ行きました。 

実は6日には、ユトレヒトにある、鉄道博物館  / Railway Museum  / Het Spoorwegmuseum" 、11日にはリートフェルトのシュレーダー邸 Rietveld Schröder House"も訪ねています。

このセクションは、セントラル博物館のブルーナのアトリエについてです。

訪問日は違いますが、私のブログのミッフィーシリーズの中に含めました。


写真は、説明がない限り、博物館のアトリエで撮影したものです。
ロフトのスペースは彼の元のアトリエによく似ていました。
Loft's space was very similar to his original studio.
再現されたアトリエ
ドローイングと著作のテーブル、
休息とインスピレーションの場所、
打ち合わせ場所、本棚が、
元の仕事場と同じ配置になっています。

Studio Reproduced
Here has the same arrangement as the original studio:
a drawing and writing table, a place for rest and
inspiration, a meeting place and bookshelves.


ディック・ブルーナー. 2007
[ユトリヒト市エルサレム通りのアトリエで]
博物館のアトリエ (上の写真) と比べてください。
博物館のアトリエは元のアトリエを本当によく再現していると思います。

Dick Bruna, 2007 
[In his studio on Jeruzalemstraat in Utrecht]
Please compare with the Studio in the Museum (photo above his).
I think the Museum's Studio recreates his original really well.
画像は下記より / This from below

Bruna's Studio
In 2015, when the Miffy Museum opened, Bruna's studio on Jeruzalemstraat, where Bruna worked every day for 30 years, was faithfully recreated in the loft section (top floor) in the Centraal Museum.
You can see the work room. →

The Miffy Museum focuses on works for children, so the "Studio" also introduces his 'adult works'.

On 6th of August, 2019, I and my husband R visited the "Miffy Museum" and on the 11th we visited the Studio in Centraal Museum.

Actually, on the 6th we also visited the Railway Museum  / Het Spoorwegmuseum" in Utrecht and on the 11th we also visited the Rietveld Schröder House"

This section is about Bruna's Studio.

The dates of the visits were different, but I included this section in my blog, 'Miffy series'.

The photographs were taken in the Studio in the Centraal Museum unless otherwise stated.

"鉄道博物館"訪問については下記/ About Railway Museum, below.

"
ミッフィー博物館訪問については下記/ About Miffy Museum, below.


ブルーナが毎日乗っていた自転車
Bicycle that Bruna rode every 
day



エルサレム通りのアトリエ
『別冊・太陽 - 海外の絵本作家たち』p.4-5
[聞き手:柴田こずえ(?~) / 平凡社 / 2007]

 Studio on Jeruzalemstraat
"Separate Volume, Taiyo - Overseas Picture Book Artists" p.4-5
[Interviewer : Shizuta Kozue (? ~) / Heibonsha / 2007




3) 表紙とポスター / Cover and Poster
A. ブルーナのデザイン / Bruna's Design 
1951年にブルーナは、祖父・父が経営する、出版社のブルーナ社 (A.W. Bruna & Zoon / 1902 -1996) に入社し、1975年に退社する間に、多くの文庫本の表紙とポスターを製作しました。

下記、博物館の説明板より
"ブルーナの作品は、シンプルさと明瞭さがしばしば核となる、オランダのデザインの伝統に適していました。
彼のスタイルの特徴は、最も本質的な形態を実現するために、余計な部分を排除することです。"

彼のイラストレーションは、他のさまざまな製品でも使用されています。



ブラック・ベア
1955年になると、文庫本 ”ブラック・ベア” シリーズがスタート。
またこの年、"nijntje / ナインチェ" という、
うさぎを主人公とした字のない絵本を刊行。
これが、"うさこちゃん" の絵本の元 (初版) になります。

Black Bears / Zwarte Beertjes
In 1955, the paperback "Black Bear" series started.
In addition, this year, he published a picture book without writing, 
with the rabbit as the main character, called "nijntje".
This is the original (first edition) of the picture book for “Miffy”.
"nijntje / ナインチェ" の絵本
当時子供向けの本の絵といえば、写実的な描写が主流で、
デ・ステイルをはじめ現代芸術運動の流れを汲む
当時としては、斬新でモダンなキャラクターたちに、
大人たちは「子供には理解できない」と敬遠しましたが、
シンプルな線と明解な色彩は子供たちに愛されました。

Picture Books of "nijntje"
At that time, children's book illustrations were mostly realistic,
but his books were in De Stijl and contemporary art movements styles,
new and modern characters (as at the time), so adults thought
"Children don't understand" and then shunned them.
However, simple lines and clear colours were liked by children.



Bruna's Design 
In 1951, Bruna joined the publishing company,  AW Bruna & Zoon (1902 - 1996), ran by his grandfather and father, and until leaving the company in 1975, he created many covers of paperback books and posters. 

According to Museum's Explanation in Japanese, (Translated by me)
"Bruna's work fitted into the Dutch design tradition, where simplicity and clarity are often at the core.
A characteristic of his style is that it eliminates extra parts to achieve the most essential form."

His illustrations also feature on a wide range of other products.
ブラック・ベア
ブルーナ社の商標はクマのモチーフでした。
ブルーナはこのクマを発展させて、
 "ブラック・ベア" シリーズを発表しました。
"ブラック・ベア"は、"読書週間"のポスターなどに使用されました。
ブルーナ曰く、
「目が赤いのは、本が面白くて夜中まで読んでいたから」
だそうです。そうなんですね!
日本では 絵本の作者としてのみ有名ですが、
実はグラフィック・デザイナーとしても優秀な方だったのですね。

Black Bears : Zwarte Beertjes
The trademark of A.W. Bruna & Zoon was a bear motif.
Bruna developed the bear and published the first of
his "Black Bear : Zwarte Beertjes" series.
The "Black Bear" was used in a poster for “Reading Week”.
Bruna says 'the bear's eyes are red
because he was reading an interesting book until midnight'.
Indeed!
In Japan Bruna might be only famous as the creator of the picture books,
in fact, he was an excellent graphic designer.
鉄道博物館前に展示されていたポスター
(撮影:2019年8月6日)
これを撮影した時は、なぜ目が赤いのかを知りませんでした。

Poster displayed in front of the Railway Museum
(Photograph ; 6th of August, 2019)
When I photographed this, I didn't know why his eye was red.



B. 理解者 / "Understander" 
ブルーナは夜通しで、著作を読んでから表紙のデザインをしていました。

また、ブルーナの祖父や父は、若いブルーナに会社のための、タイトルのみのような簡単なデザインを望みましたが、ブルーナは自分のデザイン (の画像参照を貫き通したかったのです。

彼の仕事に対する真摯な姿勢を感じます。

こんな丁寧な仕事ぶりであるにも関わらず、1975年にブルーナ社を退社するまでにした、ペーパーバックの仕事は、2,000冊以上でした。

ブルーナは非常に忙しかったですね〜。

数々のブルーナの仕事を支えた一人に、
ヤープ・ロマイン Jacob Pieter (Jaap) Romijn (1912 -1986)
という方がいます。

ヤープ・ロマインは、日本ではあまり聞かない名前で、私は彼について何も知りませんでしたが、当時のオランダでは有数の文化人でした。

ロマインは、作家、ジャーナリスト、音楽評論家、博物館・館長で、ブルーナ社は、1944 - 1964年の間、幹部として、文化顧問として、彼を雇用していました。

ロマインがブルーナの仕事の理解者になり、彼のデザインの後押しもしてくれ、祖父や父にブルーナが経営に不向きであることも説いてくれていたようです。
ブルーナがデザインした表紙
素敵なデザインです。
ブルーナはブルーナ社が発行するさまざまな書籍の装丁を任されました。
ジョルジュ・シムノン (1903 - 1989) メグレ警部シリーズ の文庫本など
ミステリー小説を中心に年間100冊もの装丁の仕事をこなす。
文庫本が主な仕事でしたが、時にはハードカバーの本の表紙もしました。
その代表作に、ハファンク/ Havank (1904 -1964) の本があります。

Covers designed by Bruna
They are lovey designs.
Bruna was responsible for binding a variety of books published by 
A.W. Bruna & Zoon.
He worked on 100 book bindings a year, focusing on mystery novels such as
 the fictional detective Jules Maigret series of paperbacks by Georges Simnon (1903 - 1989).
His main job was in paperback books, but sometimes he designed hardback books.
One of his masterpieces is the book Havank (1904 -1964).




"Understander" 
Bruna worked overnight, reading a book and then designing its cover.

Bruna's grandfather and father both wanted young Dick Bruna to design simple, title-only covers for their company, but Dick wanted to develop his design style (see above).

I feel he was serious about his work.

Despite his conscientious work, he created more than 2,000 paperback covers before leaving AW Bruna & Zoon in 1975.

Bruna was very busy, wasn't he?

One of the people who supported many Bruna's work was Jacob Pieter (Jaap) Romijn  (1912 -1986).

Jaap Romijn is a name, rarely heard in Japan, and though I didn't know anything about him, he was one of the leading cultural figures in the Netherlands at the time.

Romijn was a writer, journalist, music critic, and a museum's director, AW Bruna & Zoon hired him as an executive and cultural advisor from 1944 to 1964.

It seems that Romaine came to be an "understander" of Bruna's work, supported his design, and told his grandfather and father that Bruna was unsuitable for management.










C.パートナー / Partner
ピーター・ブラティンガ Pieter Brattinga (1931 - 2004) は、石版印刷会社 (デ・ヨング社 De Jong & Co)の跡取り息子として生まれましたが、アートの道へ進みました。

彼は、グラフィックデザイナーで、1960年から1964年の間、NYのブルックリンにあるプラット大学 / Pratt Institute のビジュアル・コミュニケーション学部の教授兼会長でした。

ブルーナとブラティンガの境遇が似ていたこともあって、二人はよき友人でした。

1953-57年までに出版されたブルーナの絵本は縦長でしたが、1959年に現在まで続く正方形の、最初の絵本『りんごぼうや』がリメイクされました。

この時、ブラティンガはデ・ヨング社のアートディレクターでした。

デ・ヨング社のポスター用の印刷機によって、"ブルーナカラー"と呼ばれる赤、青、白、緑、黄色が美しく印刷されました。

その後、既に刊行されていた絵本も正方形の絵本としてリメイクされました。

1963年には、新たに描き直した『ちいさなうさこちゃん』(第2をはじめ、
4冊 (リメイク2冊、新作2が出版されました。

ブラティンガのアドバイスによって、経費節減のための4冊まとまっての出版でしたが、子供達に、うさこちゃんの四季を感じさせるという良い結果をも出しました。

このシリーズは、各国語に翻訳されました。

日本でも1964年に石井桃子 (1907 - 2008) 女史の訳により「ちいさなうさこちゃん」として刊行され、多くの子供たちに歓迎されました。

ちなみにこの年、英国でも初版が出版されています。

日英のこの刊行は、オランダ国外で初めての翻訳出版でした。

Rの周囲の人々が誰もうさこちゃん (ミッフィー / Miffy) やディック・ブルーナーを知らなかったので、私は驚きましたが、英国の誰かはきっと知っているはずなのです。

ブルーナのイラストレーションは、他のさまざまな製品に展開され、彼は多忙を極めました。

1971年、ブルーナは、アムステルダムに彼の著作権を管理するメルシス社 / Mercis bv を友人のピーター・ブラティンガ とともに設立しました。

ブルーナは、1975年にブルーナ社を退社し、版権そのほかの雑務、仕事量のコントロールなどはメルシス社に任せ、創作に専念し、福祉関係の仕事もはじめました。

ブラティンガはブルーナよりは経営のセンスがあり、世界的なマーチャンダイジングを展開し、ブルーナを百万長者にしました。

現在、メルシス社は、著作権部門、絵本の出版部門、映像部門に別れています。

ピーター・ブラティンガ / Pieter Brattinga (1931 - 2004) 
画像は下記より / This from below


Partner
Pieter Brattinga (1931- 2004) was born as a son of a printing company (Lithography De Jong & Co), but chose the artistic world.

He was a graphic designer who became Professor and Chairman at the Visual Communications Faculty at the Pratt Institute in Brooklyn, New York from 1960 to 1964.

Bruna and Brattinga were good friends, partly because of the similarities  between them.

Bruna's picture books, published between 1953 and 57, were portrait-oriented, but in 1959 the picture book, "Apple Boy / De apple" was republished in square-shaped form 
which has continued to this day.

At this time, Brattinga was the art director in De Jong company.

Red, blue, white, green and yellow, called "Bruna Colour", were beautifully printed by De Jong's poster printing press.

After that, the previously published picture books were remade as square picture books.

In 1963, a total of four books (two remakes and two new works) were published, including the newly repainted “nijntje”(Miffy / Second edition).

Brattinga gave his advice, the book was published in four volumes to save money, but it also produced good results that made the children feel the four seasons of Miffy.

This series has been translated into various languages.

In Japan in 1964, translated by Momoko Ishii (1907 - 2008), "Chisana Usako-chan / Miffy" was published and welcomed by many children.

By the way, the first edition was published in Britain in the same year.

This publications in English and Japanese were the first translation publication outside the Netherlands.

I was surprised that no one around R knew of Miffy or Dick Bruna, but someone in Britain would surely know.

Bruna's illustrations were rolled out to various other products, and he was hectically busy.

In 1971, he and Brattinga founded Mercis bv ; Dick's copyright management company, in Amsterdam. 

Bruna left "A.W. Bruna & Zoon" in 1975.

He could then concentrate on his creations, having delegated tasks : copyright and other chores and work load to Mercis bv and he also had started work related to welfare.

Brattinga had a better sense of business than Bruna, developed worldwide merchandising  and made Bruna a millionaire.

At present, Mercis bv is divided into copyright, picture book publishing and video.

ガラスケースの中 / In the Glass Case
ブルーナは、"作品が理論やコンセプトから始まっている"のが嫌いでした。
私はこの考えがわかる気がします。
現代美術は大好きで、"理論やコンセプトから始まっている"作品も好きです。
ですが、最近の現代美術の学芸員は、
"作品が理論やコンセプトから始まっている" のが大好きすぎ!()
と私は感じています。

また、ブルーナは、'こうでなければならい'という考え方も嫌いで、それはアート面でも生活面でも同様です。
この思考は、第二次世界大戦 (1939 -1945) の経験から来ているのではないかと、
『ディック・ブルーナ』(2015 / ブルーシープ株式会社 :の著者、森本 俊司 (モリモト シュンジ/ 1960 ~) 氏は、
その本の中で書いています。

Bruna hated "the work started from theory and concept".
I feel I understand this idea.
I love contemporary art, and I love works that start from theory and concept.
However, I feel that nowadays curators of contemporary art love "works just 
from a theory or concept", too much! (Laugh)

Bruna also disliked the idea of 'must do things this way' in art and in life.
Shunji Morimoto (1960 ~) says in his book,  "Dick Bruna" (2015 / Bluesheep) that 
this thought may have come from his experiences in World War II (1939 -1945).


4) 賞 
/ Awards 
 60年にわたるキャリアの中で、ブルーナは国際的な称賛を得ました。
(緑の文字は展覧会)

1958年、ブラック・ベアーのポスターでポスター賞を受ける。
1962年、"ブラックベアー"シリーズ、500冊出版記念展
1983年、オランダ、ビアトリクス女王からオレンジ・ナッソー勲章を受ける
1989年、フランス・ハルス美術館で回顧展(ハールレム)
1990年、『くまのぼりす』でオランダ図書共同宣伝機構 (CPNB)'金の絵筆賞'
    を受ける。
1991年、ポンピドゥ・センターで回顧展 (パリ4区)
1993年、ビアトリクス女王から騎士(ナイト)の称号を受ける。
1996年、『うさこちゃんのてんと』でCPNB'銀の絵筆賞'を受ける。
1997年、『うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん』の文章でCPNB'銀の石筆賞
                を受ける。
2000年、セントラル博物館 (ユトリヒト)で回顧展
2001年、ビアトリクス女王から'オランダ獅子勲章コマンデュール賞
    (民間人に与えられる最高の王室勲章)
2003-4年、日本で回顧展(巡回展)
2005年、日本でミッフィー50周年記念展覧会
2010年、日本でミッフィー55年周年記念展覧会
2012年、メッヘレン文化センター で回顧展 : EXPO DICK BRUNA :
2015年、60周年記念展覧会 (ミッフィー博物館)
2016年、マックス・ベルジュイス
    (3年に1度、子供向けの本のイラストレーターを対象とした賞)

ブルーナーは2014年には引退宣言をしました。

ディック・ブルーナは2017216日に89歳で亡くなりました。

次のセクションもブルーナの仕事部屋、他について書きます。
ドローイングデスクには、ミフィーを描いている
ブルーナーの拡大写真が展示されていました。

On the drawing desk was an enlarged photograph of
Bruna drawing Miffy.

Praise
During a career spanning 60 years, Bruna gained international acclaim. 
(Green Colour : Exhibitions)

In 1958, he received a Poster Award for a Black Bear poster.
In 1962, "Black Bear" series, 500 book covers publication commemorative exhibition
In 1983, Order of the Orange Nassau from Queen Beatrix, Netherlands
In 1989, Retrospective exhibition in Frans Hals Museum (Haarlem)
In 1990, he received the Gold Paintbrush Award from 
              the Collective Promotion for the Dutch Book (CPNB) for "boris bear".
In 1991, Retrospective exhibition in Centre Pompidou (4th arrondissement of Paris)
In 1993, received the title of Knight from Queen Beatrix
In 1996, he received the Silver Paintbrush Award from CPNB for illustrations in “miffy in the tent”.
In 1997, he received the Silver Granger Award from CPNB for writings in “dear grandma bunny” from CPNB.
In 2000, Retrospective exhibition in Centraal Museum (Utrecht)
In 2001, Queen Beatrix, Netherlands, Commander's Award for 
    the Dutch Lion's Medal (The best royal medal given to citizens)
In 2003-4, Retrospective Exhibition in Japan (Tour Exhibition)
In 2005, Miffy 50th Anniversary Exhibition in Japan
In 2010, Miffy 55th Anniversary Exhibition in Japan
In 2012, Retrospective exhibitionEXPO DICK BRUNA 
              in Cultuurcentrum Mechelen : ★
In 2015, 60th Anniversary Exhibition  in Miffy Museum
In 2016, he received Max Velthuijs Award
              (Once every three years, an award for illustrators of children's books)

Bruna announced his retirement in 2014.

Dick Bruna passed away on 16 February 2017 at the age of 89.

The next section will also be about Bruna's Studio and others.



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